にじのむこう

単なる日記

執着とは

苦しみを生む原因のひとつは、「何かに執着する」ことです。 「こうあってほしい」という思いを「執着」と呼びます。 お釈迦様は、「思い通りにならないもの」に対して「こうあってほしいと」思い悩み、執着することを、あらゆる苦しみの根源とみなしています。

 

こうあってほしい。

こういう返事を返してほしかったという期待が執着であり

私は今日 誰にも言えずひとりムカムカしてた。

そうこれは誰にも言いたくないからだ。

そして、相手にはもっと違う返事を望んでいた。

望んでいた答えとは違う反応が帰ってきて

それはいかにも私を信用していない言葉で非常に冷たいものだった。同情して優しい言葉を添えてくれることを期待してたんだ。

だからその後ずっとひとりムカムカと面白くない気持ちになり、憎しみが増しそうだったから慈悲の瞑想を読んでいた。

でもいくら読んでもムカムカは消えず、消えないことにも腹をたてていた。なんでこんな気持ちにならなきゃいけないんだ。という感じに。

思い通りの言葉が帰ってこなかった事に腹をたてていたのかと思うと、そうか。思い通りにいくはずもない相手に何を期待していたんだろうと思えた。

執着か。

思い通りにならず、思い悩むこと。

そう考えると冷静になれる。

はじめから思い通りになんてん々うはずもない相手に対し

何をいってるんだ、というのと

相手に関わらず、思い通りになることの方が世の中少ない。

そんなのとっくにあきらめていたはずだし

思い通りにならないことばかりなのに

いちいちそれに対し思い悩むなんて事 無駄な時間をすごし

嫌な気分になり、心をざわつかせていた。

ばかだな。

そうでしょう

あきらめたから 何も言わず 何も反論せず 同じ舞台にはたたない

そうして選んだはずだ。

苦しみのほとんどは、思い通りにならないことを悩むからだ

 

そう思えば

私は彼女の思い通りにならなかったんだろう

それが何かはわからないが

何か思い通りにならない私に腹をたて  あんなことになったんでしょう。

だとしたら、それは私の問題ではなく、相手の中の問題である

世の中思った通りの返事が帰ってみたり

思った通りに人が行動したりなんてこと

滅多にない

なのに期待したり、当然そうなるはずだと勘違いしていたり

間違った認識で相手を見ていたり

そんなことが無意識に起こってるんだろうな。

本当は自分の中に 相手を勝手に思い込み

こうなるはずなのに え? どうしてそうなったの と

実は相手の事を知った振りでいても 全然知らず

思い違っていることはたくさんあるだろう

そこまで知り合い深い関係になっているなんてこと

ネットだけの関係で浅い繋がりで2年くらい表面を見てきたくらいでわかるわけがない。

信頼とよべるものは積み重ねていった先にあるものだ

積み重ねもなく うわべだけの関係で 友達だとか

親しい友達だなんて言えるわけがないのだ

そう。

彼はそういった。

ネットだけの関係かも知れないが8年という月日 しかもほぼ連日会話を続けてきて、つらいときも共に寄り添ってきたからこそ

会ったことがなくても、心の家族のように支えになっている。

それだけ積み重ねてきたからだ。

簡単に信頼や友達など出来上がるものじゃない。

そんな相手に 思い通りの答えを期待している自分の方が間違ってる。