にじのむこう

単なる日記

むずかしい

慈悲の瞑想

 

わかっている。

これを祈ることによって、自分の心にも余裕が生まれ

穏やかになれる。

それでも、その「嫌いな人」「私を嫌ってる人々」に

接触があったり、写真をみてしまったり

そうしたときに 憎しみや 怒りがこみ上げてくる。

なぜ、私が何をしたと言うのかと 思えてしまう。

自分が間違ったことはしていない。と

声をあげたくなる。

けれど、そうして自分の正当性を叫ぶことは同じ土俵に乗ることでぞれをしたらきりもなく、心にまた怒りや憎しみという負の感情が生まれてしまう。

それじゃいつまでもストレスを抱えたままになる。

だから、祈るしかない。

私の嫌いな人々にも、私を嫌ってる人々にも

幸せな日々と、願いがかなうことと、悩み苦しみから解放され、光の道が開けるようにと祈らなければ。

相手にそのような毎日が訪れたとき、私とのことを冷静に考えてくれるであろうことを願って、そして私も苦しみ続けるのではなく。負の感情から解放され、人のために心から祈れる日がくるのでしょう。

辛くても苦しくても、いやでも

それらを払い除け、そんな人々の幸福を祈るしかない。

ただひたすらに、繰り返し繰り返し

いつか道が開けるはず。

そうして真っ直ぐの道をただひたすらに歩むうちに

人々はその姿を見て 本当の事に気づいてくれるはず。

今日の事で、再びそれらの私を嫌う人々が口々に陰口を叩いても

私は真面目に物事に向かい、祈るのだ。

慈悲の瞑想を祈るのだ。繰り返し繰り返し。