にじのむこう

単なる日記

消えない傷跡

終わったでしょ  と、彼女は言った。

いつ誰が「終わり」を宣言したのか。

何を基準に終わりとあなたが決めたのか。

それでも私は黙っていた。言い返さなかった。

猿との会話は不毛だから。

なにか言えばさらにキーキーわめくだけ。

言いたいことぱをのみこんだ。

猿相手に話すなと言って教えてくれた友人がいたからだ。

猿の群れは掟があって、ボスに君臨した猿に暗黙の了解で従う。自分の子が、前のボス猿の子だという理由で殺されても黙ってる。それかルールだからだ。

群れにいる以上その群れの「絶対」は、ボスだ。

バカバカしいかそれは知能の低い脳の小さい猿ゆえのアニマルルールだ。

決して人間じゃない。

同じに見えるから勘違いされる。

最近では棲み分けが進み、人間の集うところもあるのにうっかりさるエリアに入り込んでしまったら、多様化なんてない。排除される。様々なアリもしない嘘で誹謗中傷され悪人にされ排除される。

しかしそれは仕方ない。群れには入れない。

そもそも間違いだった。

もっと早く気付いて自ら撤退すべきだった。

排除される前に。

猿にとっては邪魔者の排除が終わった。

そこには人間のように罪悪感に駆られることなどない。

毛色の違うものの排除は必然だからだ。

そんな罪悪感も感じないような世界になぜ紛れ込んでしまったんだろうなあ。

裁判も勧められたが、疲れるだけだし、さる相手に無駄に時間を浪費すると思う。

白黒つけるのもいいが、それをして何になる?

相手は猿だよ。また繰り返すよ。

それなのに私の受けた傷はまだ疼く。

終われてない。

理由は何?

何も言い返さなかったことを悔やんでいるのか。

言葉の力は恐ろしい。

喋る猿はいらないよ。

私も住む世界をまだ違えたらダメだ。

やっと人間の世界に戻れたんだから早く忘れよう

その時のためのメモ

思い立ったらメモしておこう

*一度失った信頼を取り戻すには信頼を最初に得た時より容易なことではない。自分の落ち度で失ったわけではない。信頼を失わせるような行為を行った人が、私の信頼回復に務めるべきではないか。

*『大多数』と発言したななこさん。『大多数』とはどこからその言葉が出てきたのか、なぜ『大多数』と思ったのかその情報源を言って欲しい。どこから『大多数』と思いなんの関係もないあなたが怒り、ふんがいしたDMを送り付けてきたか。

*192人もの人の『いいね』と、6名の方の故意の『RT』を生んだあなたの投稿は悪意の充ちていてコメントに私を『サイコパス』だと称する人が出たり、『依存体質』だと個人を特定し誹謗中傷する元になっていて、それを悪意の友人たちがリツイートで広めました。その結果その悪意を込めた投稿は192人もの人が『いいね』をしました。悪口を広めた意図はなんですか。

いつまで続くのか

私のこの気持ちはいつまで続くのか。

Twitterを去ったのが10月5日のはず

てことは1ヶ月と少し そんな程度じゃ忘れないよ

自分に問いかける

どうして欲しいのか

どうしたらスッキリするのか

そして相手はそれに答えると思えるか?

いや答えないどころか、まだ粘着されてるの助けてとばかりに

また被害妄想始まるでしょ。間違いない。

ずるいよね。

こっちに何も言えなくしてる。

何か言えばすぐまだしつこく粘着される可愛そうな人私に

なれちゃう。いつも被害者。

でもさ何をしたっていうの、だいたいしばらく話なんてしてないし

むしろそっちから毛糸送ってきたり、靴下編んでって送ってきたりしてたのに、急に何があったのと聞きたいよ。

突然の豹変ぶりに驚いてる。

誰かと何か話して、そうそう私も被害者みたいになったんだろうな

しかも多数?ってなによ。

多数に何をしたっていうの?

頭おかしい。

私に問いかける

そんな突然豹変してワケわかんないこと言い出す人を相手に

何か言ったってまた被害者モードに逃げ込んで

しつこくされてる

粘着されてるとか言い出すだけで

話すらできない人だよ

そんな人を相手にして 何か言っても期待する反応や

期待する言葉なんて帰ってこないよ

しかし相当言ってるね。そうでなきゃこれだけ叩かれることに

なるわけない。

なにがあったんですか?

と聞かれたが、私だってなにがあったのか知りたいくらい。

感謝されることはあっても恨まれるようなこと何一つしてない

その証拠に彼女からあれこれ贈り物をもらったりして、

靴下編んでとか言って今もその毛糸のキットがあって

どうしたらいいのか聞きたいくらいだけど、

コンタクトとったらまたしつこく粘着されたとか言い出す始末

はぁわけわかんない

そう わけわかんない人の話をみんな真に受けて聞いては

私を悪人にしてる。

いったいどこの大多数がなのよ

ほんとやめよう

もう疲れはててるのに

 

TもCも書く気になれない。

というか書く必要性もないし

反応求めてるわけでもないし

誰かにみてほしいわけでもない

構ってほしくない。ほっといてという気分の時はここ

日記帳とかにペンで書くのはめんどくさいし

ネットが楽だ

ここ数日痛い 背中も増骨してるっぽい

整形外科いったほうがよさげだから

次の通院の時言おう

どうなっていくんだろうなって不安が増す

痛いけど内臓じゃないから大丈夫なのか

それとも時間の問題で内臓にくるのか。

不安は見えない未来なんだから無駄なんだよね

そのときそのとき考えたらいい

くだらないことがありすぎた

そのストレスが今もなお夢に悪夢となって帰ってきてる

起きたとき気分が悪い

こんなにストレスなのはなんでか

それはわかってる

自分の正当性を叫べないからだ

心のなかでいまだに 自分はなにをしたの なにもしてない

私のせいにされただけだという思いがくすぶってる

でも相手が悪い 相手とはどこまで行っても平行線な相手だ

そんな相手に正面から正論でぶつかっても

期待するような返事や対応など帰ってこない

そんな相手に何を言っても無駄だ

それに同調する人たちも同じ

なかには気づく人もいるだろう

でもそんな人は声をあげたりしない

黙ってる

そう黙ってるのが一番の選択だから 黙ってるしかない

でも自分の中の正そうと言う性格がそれを拒んでいる

間違いは正すべきと。

向こうも向こうなりの正当性があるんだろうな

被害者?? なんの被害にあったの?

被害どころか あれこれ頼まれて答えてただけだ

友達だと思ってたからね

けどこんな世界で友達なんていうのはむしろうさんくさいよ

今になってわかった

いい人だと思ってきたが やたら○○が嫌いとか

あれこれ嫌いな人をあげては非難してた

そうなんだそれが  私は被害者 執着された 粘着されたとか

今考えるとおかしい

すぐに誰かに粘着される人

被害妄想で人の悪口ばかり言ってた

病気だな

やっぱり病気の人とつきあうのは疲れるね

ころっと自分の都合のいいように変わる

いつかまた身近な誰かが被害にあうよ

本当の被害者はあの人じゃない

あの人が被害にあったという相手こそ被害者だ

それにいつか気づかれるね

回りの人間はいつもそれに振り回され

信じこみ 彼女が被害にあった かわいそうにーってね

でも事実は違うんだよ 相手こそほんとに被害者だ

しかも彼女が悪口を言ってた人たちもそんなこと言われてることも知らずに一緒になってかわいそうにーってやってる

知ったらどうなるのかな

そのうち正体はばれるよ いつまでもそんなこと続かない

神様は見てるんだよ 仏様もね

よく自分の胸に手を当てて考えてみるがいい

自分がしたことはいずれ自分に帰ってくるよ

私はそのブッダの言葉を信じて黙することにする

それが一番良いこと

すべては天に委ねる 私が裁くことじゃない。

Mさん 私がそんなこと言うわけ無いです

そこまで汚れてる人だったんですか。侵されてますよ。

しかもそれを広めてる。私は感謝していたのにその価値もなかったなんてがっかりです。

さあ今日も嫌いな人々、私を嫌ってる人のために瞑想しよう?

ごめんなさいお釈迦様、まだ私はそこまで悟れてません。

瞑想の言葉を口にすると嘘をついてるかのようです。

今はただ静寂を求める瞑想をしたい。

執着とは

苦しみを生む原因のひとつは、「何かに執着する」ことです。 「こうあってほしい」という思いを「執着」と呼びます。 お釈迦様は、「思い通りにならないもの」に対して「こうあってほしいと」思い悩み、執着することを、あらゆる苦しみの根源とみなしています。

 

こうあってほしい。

こういう返事を返してほしかったという期待が執着であり

私は今日 誰にも言えずひとりムカムカしてた。

そうこれは誰にも言いたくないからだ。

そして、相手にはもっと違う返事を望んでいた。

望んでいた答えとは違う反応が帰ってきて

それはいかにも私を信用していない言葉で非常に冷たいものだった。同情して優しい言葉を添えてくれることを期待してたんだ。

だからその後ずっとひとりムカムカと面白くない気持ちになり、憎しみが増しそうだったから慈悲の瞑想を読んでいた。

でもいくら読んでもムカムカは消えず、消えないことにも腹をたてていた。なんでこんな気持ちにならなきゃいけないんだ。という感じに。

思い通りの言葉が帰ってこなかった事に腹をたてていたのかと思うと、そうか。思い通りにいくはずもない相手に何を期待していたんだろうと思えた。

執着か。

思い通りにならず、思い悩むこと。

そう考えると冷静になれる。

はじめから思い通りになんてん々うはずもない相手に対し

何をいってるんだ、というのと

相手に関わらず、思い通りになることの方が世の中少ない。

そんなのとっくにあきらめていたはずだし

思い通りにならないことばかりなのに

いちいちそれに対し思い悩むなんて事 無駄な時間をすごし

嫌な気分になり、心をざわつかせていた。

ばかだな。

そうでしょう

あきらめたから 何も言わず 何も反論せず 同じ舞台にはたたない

そうして選んだはずだ。

苦しみのほとんどは、思い通りにならないことを悩むからだ

 

そう思えば

私は彼女の思い通りにならなかったんだろう

それが何かはわからないが

何か思い通りにならない私に腹をたて  あんなことになったんでしょう。

だとしたら、それは私の問題ではなく、相手の中の問題である

世の中思った通りの返事が帰ってみたり

思った通りに人が行動したりなんてこと

滅多にない

なのに期待したり、当然そうなるはずだと勘違いしていたり

間違った認識で相手を見ていたり

そんなことが無意識に起こってるんだろうな。

本当は自分の中に 相手を勝手に思い込み

こうなるはずなのに え? どうしてそうなったの と

実は相手の事を知った振りでいても 全然知らず

思い違っていることはたくさんあるだろう

そこまで知り合い深い関係になっているなんてこと

ネットだけの関係で浅い繋がりで2年くらい表面を見てきたくらいでわかるわけがない。

信頼とよべるものは積み重ねていった先にあるものだ

積み重ねもなく うわべだけの関係で 友達だとか

親しい友達だなんて言えるわけがないのだ

そう。

彼はそういった。

ネットだけの関係かも知れないが8年という月日 しかもほぼ連日会話を続けてきて、つらいときも共に寄り添ってきたからこそ

会ったことがなくても、心の家族のように支えになっている。

それだけ積み重ねてきたからだ。

簡単に信頼や友達など出来上がるものじゃない。

そんな相手に 思い通りの答えを期待している自分の方が間違ってる。

 

むずかしい

慈悲の瞑想

 

わかっている。

これを祈ることによって、自分の心にも余裕が生まれ

穏やかになれる。

それでも、その「嫌いな人」「私を嫌ってる人々」に

接触があったり、写真をみてしまったり

そうしたときに 憎しみや 怒りがこみ上げてくる。

なぜ、私が何をしたと言うのかと 思えてしまう。

自分が間違ったことはしていない。と

声をあげたくなる。

けれど、そうして自分の正当性を叫ぶことは同じ土俵に乗ることでぞれをしたらきりもなく、心にまた怒りや憎しみという負の感情が生まれてしまう。

それじゃいつまでもストレスを抱えたままになる。

だから、祈るしかない。

私の嫌いな人々にも、私を嫌ってる人々にも

幸せな日々と、願いがかなうことと、悩み苦しみから解放され、光の道が開けるようにと祈らなければ。

相手にそのような毎日が訪れたとき、私とのことを冷静に考えてくれるであろうことを願って、そして私も苦しみ続けるのではなく。負の感情から解放され、人のために心から祈れる日がくるのでしょう。

辛くても苦しくても、いやでも

それらを払い除け、そんな人々の幸福を祈るしかない。

ただひたすらに、繰り返し繰り返し

いつか道が開けるはず。

そうして真っ直ぐの道をただひたすらに歩むうちに

人々はその姿を見て 本当の事に気づいてくれるはず。

今日の事で、再びそれらの私を嫌う人々が口々に陰口を叩いても

私は真面目に物事に向かい、祈るのだ。

慈悲の瞑想を祈るのだ。繰り返し繰り返し。

慈悲の瞑想


私の嫌いな人々
私を嫌っている人々も
幸せでありますように
私の嫌いな人々
私を嫌っている人々の
悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々
私を嫌っている人々の
願い事が叶えられますように
私の嫌いな人々
私を嫌っている人々に
悟りの光が現れますように